良いドラマーとは

良いミュージシャン、良いプレーヤーの定義は人によって異なるものです。どのような演奏を好むのか、どのような音を好むのか、それは見た目も含めて、どのような存在が好まれるのかということを考えるようなものです。

勘違いしたくないのは、「音楽家」というものは「タレントではない」ということです。日本独特の「ミーハー文化」というものがあります。テレビに出ればすごい、タレントは価値がある、会うだけで幸運を感じる、そのような文化、風潮がより色濃いのが日本なのです。そこにはメディアが担ぎあげた価値観、世間が作ったキャラクター、それに対する先入観のようなものが多分に含まれています。

そのような日本で、音楽で身を成すことは一種「タレントとして身を成すこと」に等しいのです。弁護士がタレントとして活躍する、女医がタレントとして活躍する、さまざまなことがあるでしょう。さまざまなケースがあり、さまざまな「有名人」が世間を賑わせています。それらの人々が持つ「本質」を、みんなが知っているわけではないという現実があります。それらメディアを賑わす人が「どうすごいのか」、誰も理解出来ていないという場合もあるでしょう。

それでもショービジネスは存在して、人々の「ミーハー」な気持ちを満たすためのビジネスが溢れています。たとえ音楽がそれに付随する「飾り」のようなものであっても、その音楽に関わる人は真剣であるべきです。音楽に対して真摯であるべきです。音楽が受け入れられないと、見た目が悪いから誰も理解してくれないと、嘆いてもはじまりません。

正確なドラムプレイ、正確なビート、圧倒的な技術、人の目を覚まさせる音圧、人が圧倒されるドラムプレイを目指していても、それを受け止める人は「ミーハー」です。そのような「本質がわからない人」に対してどうアプローチすべきなのかは、自分次第です。「わかる人だけわかってくれたら良い」と考えるのか、みんなに聴いてほしいと願うのか、どのようなことを考えて音楽活動を続けるのかは自分次第です。

圧倒的なメディアに対抗して、地下で活動を続けるのか、迎合して万人に「好かれる」ように自分をカスタマイズしていくのか、それは自分次第なのです。

どちらにしてもそこにあるのはあなた自身の「ドラム」です。ドラムを通じて世界とつながっていく、ドラムがなかったら見えない世界がそこにあるということです。音楽的に良いドラマー、そしてプレーヤーとしての在るべき姿をわきまえたドラマー、周囲の人とドラムを通じて輪を広げていくことができるドラマー、そのようなドラマーが「良いドラマー」なのではないでしょうか。プレイが圧倒的でもアンサンブルのメンバーとうまくコミュニケーションがとれなくては良いアンサンブルはできません。アンサンブルを牽引する役割としてのドラマーでもあるのです。ですから、自分のことだけではなく人のこと、自分の音だけではなく人の音もしっかりと把握できるドラマーが求められているのです。

「良いドラマー」になろうするのであれば、人が自分に対して何を求めているのか、それはプレイでも、存在としてでも、しっかりと捉えて、それに応えてあげることが大切なのではないでしょうか。