ドラマーとしての道

なんでもそうですが、「何かを極めよう」とするとその道はとてつもなく険しいものです。何かを極めよう、何かを自分のモノにしよう、何かで人に認められよう、人を驚かせよう、喜ばせようということには、エネルギーがいるのです。

「伝わる」という盲信があります。「自分はこれだけがんばっているのだから、人はきっと認めてくれるだろう」という盲信です。そのような盲信はそのまま「甘え」につながります。その時は誰にも理解してもらえなくても、「誰かがわかってくれる、誰かが認めてくれる、そのうち花開く」と、「いつかは」という言葉に甘えてしまうのです。

楽器が上手になることと、それが誰かに伝わるということは別の問題です。楽器が上手でも、誰にも聴いてもらえなければ意味がありません。自分はドラムが大好きで、叩いていれば幸せだという状況と、人が聴いて「認める」ということは別の問題なのです。別に誰かに認めてもらいたくてドラムを叩くわけではないという人もいるでしょう。それならそれでいいのです。ですが、そこにあるべきなのは「成長」であり、「成長」するためには自分を磨く必要があります。「磨く」ということのために必要なのが「第三者からの評価」であるということはたやすく想像できるでしょう。自分の視点だけで物事を考えるよりも、誰かに評価してもらった方が「何が足りないのか、どこが足りないのか」わかるということです。「自分に足りない部分」を自分で見つけることで、さらになる成長が期待できるのです。

もちろん、その第三者の「声」、「感想」、というものを真摯に理解できるかどうかが問題で、「別にどう言われても関係ない」とか、「どう言われても問題ない、気にしない」というスタンスであれば、誰が何を言っても無意味なのです。そのような助言をくれている人も、「この人に対してはどのようなことを言っても無意味だ」と感じれば、やがてアナタから距離を置くようになるのは間違いないでしょう。

人の感想、人の助言を真摯に受け止めることができるか、それを自分のこととして、今後のプレイに活かすことができるかということは、自分次第です。ドラムを長く叩いていれば、それはうまくなるはずなのですが、その「スピード」に差が出るということを覚えておきましょう。

楽器を習得する、楽器を上達させるということに終わりはないのです。どのような楽器でも、どれだけのキャリアを持っていても、それは変わりません。「ここまでうまくなればいいだろう」と思った瞬間に、その「先」はないのです。「ここまで出来たらいいだろう」と考えた瞬間に、その先はないのです。

どこで満足するのか、自分の「理想」をどこに置くのかということが大切で、高みを望めば自分の意識、スキルもそこへ向けて伸びるのです。手近なところ、簡単にクリアできそうなところでいいのであれば、自分の意識やスキルはそこまでで終わってしまうのです。そして、楽器の演奏、音楽の演奏に関しては、「ここまで」という「限界」がないということです。人が「超絶技巧」と言ったとしても、自分ではまだ足りないということもあるでしょう。人が「天才」と言ったとしても、自分ではまだ足りないと感じることがあるでしょう。それがプレーヤーとしての道なのです。果てしない道なのです。