「走る」とは何か

楽器の演奏をしていると「アドレナリン」という物質が脳内で分泌されています。それは「楽しい」とか「ノリが良い」など、音楽を演奏している人しか得ることができない「カタルシス」をもたらすものです。

そのカタルシスはまさに音楽を奏でる人だけのものであり、音楽を「聴く」際に得られるものとは違うものです。プレイヤーになってみないと得ることが出来ない、ミュージシャンにとっては宝のようなものであり、ミュージシャンとして存在するための「理由」の一番大きなものであるといえるでしょう。そのようなカタルシスを得られない演奏であるのであれば、ミュージシャンは自分で自分の音楽を奏でることができていないということになります。そのような時は、自分が気持ちよくなるためにまずは自分が納得できるような演奏を心がけることが大切です。

ただ、そのカタルシスをもたらす脳内物質、「アドレナリン」は、自分の演奏に悪影響を与えることもあります。それは「演奏が速くなる」というような悪影響です。音楽を表現する際に聴衆も演奏側も気持ちが昂ぶり、会場全体をうねりが支配することがあります。そのような場合には自分で自分を抑制できないような局面に陥ることもあります。自分で自分の演奏に対してブレーキをかけられなくなり、その結果テンポが速くなってしまうのです。ただ、それはその場では「良い」のです。その場で聴いている人のすべてがそれで納得するのであればいいのです。ただ、それは「後から聴く」という点では難点があるかもしれません。

その曲の「テンポ」というものはその曲を構成する重要な要素でもあります。その曲の一部、その曲の時間の流れ方を決める最低限の要素です。「テンポ」を決めるということは、音符ひとつの長さを決めるということです。音符ひとつの長さが決まればフレーズの長さが決まります。フレーズの長さが決まれば次は曲全体の長さが決まります。そのテンポで得るべきグルーブというものがあり、そのテンポで得るべきノリがあるのです。

アドレナリンはそれをいとも簡単に、しかもその場の人のすべての理解の上で破壊してしまうもので、後から聴いて「速い」と感じることが多々あります。ただ、それが「悪い」というわけではありません。問題はその「速い」ということに対して聴衆がついてきておらず、演奏側だけが「一方的に満足している」という状態です。そのような状態は避けるべきであり、それがいわゆる「ひとりよがり」ということになります。

「走る」ということのすべてが悪いというわけではないということをご理解頂けたでしょうか。音楽というものは演奏している際には「理屈」などはないのですが、後から聴いてはじめて「理屈」を当てはめることができるのです。演奏中にそれを理解するためには「場数」を踏むしかなく、その「場数」はまさに演奏を重ねることでしか得ることができないのです。

自分の演奏は傍からみてどうなのかということを知るためには、それを録音してみるのが一番いいでしょう。その演奏を録音することで、落ち着いて見たときに自分がどう捉えられるのかを知ることができます。「走る」ということに対する「是非」も、その時に知ることができることでしょう。