ドラム演奏時の「動き」とは

音楽というものは「エモーショナル」なものです。人の心を動かす演奏は、人に対して「圧倒的な存在」であるということでもあります。そのような演奏を実践している人は、「見た」際にも「圧倒的」でありたいものです。

「演奏する様子」というものは、人に対して訴えかけるものがあります。「ライブ」というところにフォーカスすると、「人に聴かせる」ことは「魅せる」ことでもあります。ステージがあって、そこに演奏する人がいて、その場にそれを聴く人、楽しむ人がいるということは、そのステージはエンターテイメントの場であるということです。エンターテイメントは人が楽しんではじめて成立するものです。人が楽しんで、心躍らせて、はじめてそのエンターテイメントが成立します。

そのようないわゆる「盛り上がり」というものは、演奏側だけが満足していればそれで良いというわけでは決してなく、その演奏に触れている人、その演奏を聴いている人すべてがその演奏を楽しむ必要があるのです。

そのような状況を作り出すのはそこにある「雰囲気」です。「音」だけでそのような状況が作り上げられたらそれはそれでいいのですが、それだけではなく、「雰囲気」がその場の「うねり」を作り出すのです。その「雰囲気」の中心にいるのはやはり「演奏者」です。演奏する人、その音を出している人が、その演奏に対して責任を持っているということ、そしてうねる音の波の中心に、存在感を持って立っているということ、それを見て楽しむということもライブの一部です。

そのような「見る」期待に応えるためには、「魅せる」という意識が大切です。こちらは役者ではなくミュージシャンなのですが、ライブをするということは人が「エモーションを感じる動き」を期待しているということでもあるのです。人が期待することには応えたいもので、その場でじっとして演奏しているよりも、動きをつけて演奏した方が、視覚と聴覚同時に伝えることができるのです。

そのような「見てもらう」ということに対する意識をつけていくことができれば、「じっとして演奏する」ということにある種の申し訳なさを感じるのではないでしょうか。いかにして人を楽しませるのかということを考えることができるのではないでしょうか。

人に対して伝えることは簡単なものではありません。ライブハウスで演奏すれば人が盛り上がってくれるわけではありません。人に高揚してもらうためには、そのための雰囲気をつくりあげる必要があるのです。雰囲気をつくるということは、その場の空気を「自分の存在」で左右するということになります。自分がいるから、その場が成立しているという状況、自分がそこで音を出しているから、その場が成立しているのだということをその場にいる人すべてに理解してもらうことが必要なのです。

そのためにも、「存在感」という意味での「プレイ」を意識する必要があります。わかりやすいのが「動き」ということになります。動くためにはそのための意識が必要です。特にドラムは身体全体で音楽を体現しているのですが、それに加えて観ている人の気持ちを高ぶらせるような動きということになります。それはある意味楽器の演奏とは別次元の意識かもしれません。ですが、会得していて損はないものでもあります。