人が聴きやすい演奏とは

音楽は自由です。そのクリエイティビティは無限の可能性に満ちています。ただ、人が聴いて納得する音楽というものは確実にそこに存在しているのです。それは見えない「枠」として、私たちを縛るのです。

音楽を論理的に、理論として体系化した「楽典」は、どのようにすれば人がそれを「音楽」として理解し、納得してくれるのかを集約したものです。音階の納得感、メロディの解決感というものがどのようなものであるのか、を体系化したものです。それらの理論に完全に則れば素晴らしい音楽ができるというわけではないのですが、人に理解されやすい整った音楽を作ることができるでしょう。

それはさまざまな楽器が共通言語として持つ「音階」、そして曲が所属する「調」を固定化することでもあります。現在では一般人でも理解できる「キー」を定め、そのキーの中にある音階に限定して楽曲を展開することで、ある程度整った創作が可能です。それはいわば「どこか聴いたことがある」というような安心感と、「ドミナント」といわれる「基音」に解決する進行で「あるだろう」と人を納得させながら楽曲を進行させることができるものでもあります。

繰り返しますがそのような枠組みの設定と、人が聴いてどう思うのか、その楽曲の良し悪しはどうなのかという点は「別」の問題です。その音楽が人に対して「納得感」、「理解」を得られるひとつの「要素」ではあるのですが、それが必ずしも万人に受け入れられるわけではないということです。人が聴いて、「良い」であるとか「好き」であるという印象を抱くためには他にもさまざまな要素が必要であり、それこそ体系化されていないのです。クリエイターはそのような「人に満足してもらえる作品」を目指して日々クリエイティブを続けているということになるでしょう。

それを「ドラム」というひとつの楽器に置き換えると、確かに演奏自体は自由です。どのように叩こうと、どのようなアプローチで曲にメリハリをつけようと自由ではあります。ですが、一般的に人がそのドラムに期待することというものがあります。ある意味そのドラム演奏が上手いであるとか、下手、という印象は、聴いている人が自分の枠の中で判断するしかなく、それは相対的なものでもあり、その「基準」が人によって違うため、どのような人がその演奏を「良い」と感じるかなどということは想定すらできないということになります。

ただひとつ言えるのは、「ドラムの基本」というものは確かに存在しています。先人がこれからドラムをはじめる人、もっと上達したいと考えている人に対して提示できる「基本」をしっかりと踏襲することは大切です。それは長年かけて「良い演奏」を体現してきたプレイヤーの「経験」でもあり、世界を轟かせてきたビートを言葉で表したものでもあるからです。

人が聴きやすいと感じてもらえるようにするためには、人が納得感を持ってその演奏を感じ取ってくれるためには、そのような「基本」はまず踏襲する必要はあるのです。その上で自分にしか出せないビートを意識すること、自分にしか出せない音を考えることが大切で、そのような取り組みをコツコツと積み重ねることか修練でもあるのです。