音楽のジャンルによってプレイは違う

音楽にもさまざまなジャンルがあります。それらは理屈だけで別けることができるものではなく、また人によっても印象が違うものですから、ハッキリとした境界線があるわけでもありません。

作る人の数だけ音楽は存在していて、作る人が伝えたいことの数だけ、表現したいことの数だけ「曲」が存在しています。そして、それを受け止める人の数だけその曲に対する「印象」が存在しています。その数を数えるとキリがなく、それぞれがその音楽の可能性です。人からどのようにいわれても、人かどのような印象を受けても、自分の音楽を貫くという人もいれば、人の感じ方に自分の音楽をあわせるという人もいます。それぞれ自由であり、「これが正しい」ということはありません。

音楽は誰のためのものか、と問われると答えがたくさん出てきます。「自分の音楽で世界を変える」という人もいれば、自分の音楽は自分のためにあるとハッキリ答える人もいます。それぞれが正解で、それぞれ犯すことのできない「真理」です。そして、作り手がどのような事を言ったとしても、それをどう受け止めようが聴く人の自由です。そのような「さまざまな自由」の元に音楽は成り立っているのです。どれも否定できることではないです。受け入れるかどうかという問題です。

どのようなプレイ、どのような音をその音楽に適用するのかということは、その人の自由です。どのようにその音楽を楽しむのかということはその人の自由であり、それ自体がクリエイティブなのです。そのようなクリエイティブを実践することこそが、「音楽」であり、その可能性を無限に探求するのがクリエイティブです。ただ決まったこと、ただ無難なことを繰り返すのは作業です。作業が楽しいという人もいるでしょう。誰かが作った音楽を自分で再現することにカタルシスを感じる人もいることでしょう。それはそれで、否定できることではありませんが、「クリエイティブ」とは一線を画したものであることは間違いありません。

ドラムのタイプにもさまざまなものがあります。ただ、「このような音楽だからこのようなドラムであるべきだ」ということはありません。すべては自由であり、プレイヤーの判断次第です。そしてその選択をどのように理解するのかということも、人の自由です。自分が好きでやっていることを、人が好きになってくれるかどうかは別の問題です。
ただ、好きな人が圧倒的に多いのであれば、それは「仕事」として成立することに
なります。「仕事」とは、それで対価を得て、それで生活することを指します。自分が自分でそのことを好きになること、そしてそれを人が認めてくれること、それが調和のとれた音楽活動です。ただ自分だけが納得している、その逆で人から良いと言われるために「無理」をしている、どちらに偏っても、「幸せ」ではありません。

音楽のジャンルを考える際に、固定観念に囚われるのはあまり良いことではありません。自分が「可能性」そのものであるという意識が大切です。自分にしか出せない音があるという意識が大切です。それを理解した時に、クリエイティブの可能性が一気に開けることでしょう。「作る」ということの楽しさを実感するためには、自分の可能性を知ることからはじめなければいけないのです。