グルーブ感とは何か

音楽には「グルーブ」があります。それは人が音楽を聴いていて思わず身体を動かしたくなる「衝動」のことです。目には見えません。また、分析して数値化することもできません。

グルーブというものは音楽がそこにあって、聴く人がそこにいて、はじめて成立するものです。音楽が人の耳に届いたときに、人の心の中に産まれる「波紋」そしてそれがやがて身体の動きとなり、さらには人と人が波打つ、空間を揺さぶる、大きな波となって派生していくものです。「グルーブ感を出す」という方法はなく、「グルーブ感を身につける」という言葉自体も本当は正しくないのです。グルーブは創り出すものではなく、音楽が立てた人の感情をうねらせる「波」なのです。いくらノリを良くしようとしても、いくら人に踊ってほしいと願っても、そこにある音楽、そこで鳴っている音楽次第なのです。

ドラマーの課題、ひとつの大きな壁として、「人を躍らせる演奏」というものを意識したいものです。ただ正確に音がなっているわけではなく、聴いている人が自分の演奏で身体を揺らしてくれるようになることを心がけたいものです。それは「工夫」するということではなく、「経験」によって得られるものです。しかも理屈で解釈できるものではありません。感覚で身につけた「人を動かす波」です。それは演奏技術、そしてメンタル、音楽との向き合い方すべてを左右するものであり、ドラマーとして大切なことのひとつなのです。

どのように叩けば人が身体を動かしてくれるのか、自分の演奏を自然に感じて、心地良いうねりをその心に発生させてくれるのか、それはまず「自分がそのようなグルーブに出会う」ことが必要です。自分自身が身体を揺らすことができる音楽、自分自身が身体を揺らして、自然に楽しむことができるような音楽に出会うことができていれば、そのグルーブが自分の中での「核」になるのです。

人に踊ってほしいのであれば、まずは自分が踊れるモノを見つけている必要があるのです。ひとつのグルーブに身を委ねて、いつまでも続くうねりの中に身を置くこと、いつまでも続くグルーブの中に身を置いて、自分のアドレナリンが分泌されるのを自覚できること、その経験、その感覚が必要なのです。グルーブは理屈ではなく、感覚で、身体で覚えるしかないことなのです。

世の中にはさまざまなリズム、さまざまなビートがあります。それらのビートにとりあえず触れてみて、それらの音楽にとりあえず触れてみて、どのような反応を自分の身体が示すのか、どのような反応を自分の感性は示すのか、それを「実感」することからはじめるべきです。自然に身体が動いてしまう瞬間というものはどのようなものなのか、ビートによって心が高揚する瞬間とはどういうものなのか、理屈ではなく、感覚として知っていることが必要です。それを実感したとき、「人が踊るということはこういうことか」ということがわかるのです。そして、ただリズムパートだけで人が踊るわけではないということ、ただリズムパートがそのグルーブのすべてではないということを理解できるでしょう。音色があり、フレーズがあり、アンサンブルがあって完成している音楽、そこから発生する「波」を、感覚で理解できるようになるのです。