「ノリ」という盲信

音楽には「ノリ」というものがあります。それは人によっては「グルーブ」と置き換えられたりするものです。ノリ、グルーブ、さらにいえばヴァイヴスなどは音楽全体を感じる際に重要な要素のひとつです。

それらのグルーブの大半を支配しているものはドラムです。ドラムを軸にしてそのアンサンブルは成立していて、ドラムを軸にして各パートが演奏するものです。オーケストラでいうところのコンダクター、つまり「指揮者」というわけです。ドラムはポピュラーミュージックでのコンダクターのようなもので、どのような演奏であれ、ドラムが存在すればそれを「聴きながら」演奏するものです。ただ、「その音楽」のグルーブの大半をドラムプレイが左右しているとはいえ、「それだけ」ではないのです。アンサンブルの中に息づく「呼吸」というものがそのグルーブの正体です。各プレーヤーが持っている独特のリズム感、タイム感の重なり、その微妙なズレが、その音楽のグルーブです。

この「ノリ」をコンピューターやシーケンサーなど、電子音楽的に再現するためには音符に「ジャスト」になるようにプログラミングするだけではいけないという現実があります。タイトにプログラミングされたドラムパート、リズムパートを再生すると、グルーブとはかけ離れたトラックになっているものです。このことから「コンピューターミュージックは好きではない。人の自然なグルーブが良い」という人が出てきたのですが、実際に「ノリの良いリズムトラック」は音符に対して「ジャスト」ではありません。グルーブを出すということはある程度偏った音符の再現ということになります。

ただ、これを人の演奏に置き換えると「ずれていていいんだ」ということにはなりません。「グルーブを出すために音符をあまり意識しないようにしたいんだ」などと聞くと、なんだかそれっぽく聞こえるものですが、実はそれはプレーヤーとしての愚策です。それは、もともと人が演奏する以上、音符に対して正確なアプローチ、それもコンピューターのように「ジャスト」のタイミングでプレイすることなどできないからです。ですから、楽器を演奏した瞬間に、私たちは独自の「ノリ」、独自の「グルーブ」、独自の「ヴァイヴス」を持っていることになります。

ノリを出す、グルーブ感を出すということは、テンポや音符に対して忠節でなくなるということではありません。それは人が自然に発生させるものであり、ノリを意識するだとか「グルーブ」を意識するということはその「基本」の先にあるものなのです。同じアンサンブルにいるモノ同士しか分かり合えない演奏での「会話」、そしてそれが聴衆に伝わった際に波打つ空間、それは計算で出すものではなく、演奏者が違えばまったく違ったものになり、またその時によっても変わる、刹那的でその瞬間だけの尊い「波」なのです。

その「波」を人工的に作り出す電子音楽と、人の手で演奏される音楽はそもそもの発生が違います。トラックメーカーが計算して作ったものと、その場、そのときに演奏しているものは全く別の音楽なのです。人が演奏する際は、グルーブ感を出したいのであれば、まずは「基本」に忠実であること。これが大切なのです。