リズム感は基本

ドラマーにとってそのリズム感は大切です。それは理屈だけの「音符」をなぞるだけでは実現できないものです。気持ちいいビートを追求すること、それがドラマーの本懐です。

世の中にはさまざまなリズムがあります。さまざまなビートがあります。それらを追求することこそがドラマーに求められていることです。どのようなビートを実現するのか、どのように人に感じてほしいのか、自分が叩いていて気持ちいいと感じるビートはどのようなものか、自分が聴いていて「良い」 、「心地いい」、「踊れる」と感じるビートを追求することが大切です。

生楽器の演奏はただ譜面をなぞればいいというわけではありません。ただ譜面をなぞってただ正確に叩けばいいというわけではないのです。だからといって音符の長さやテンポを無視していいというわけでもありません。人が期待する「演奏」があり、それを満たした上で人が「良い」と感じることが大切です。自分が「良い」と思っていても、人が「良くない」と感じてしまえばそれまでです。また、その「人」の感想も時と場合、聴衆によって異なるものでしょう。

どのようなビートを追求するのかはドラマーによります。ただ、「誰かに良い」といってもらえるということは大切なことで、自分しか理解できないような難解なものは避けるべきではあります。人に聴いてもらってナンポ、というのが音楽であり、ただ人に「媚びる」ということは避けなければいけない。それもまた音楽です。その音楽のすべてを受け入れるという意志が「ミュージシャン」にとって必要なことであり、「意志」こそが自分の音楽を体現するためのエネルギー源であるべきです。

人によって好きな音楽は違います。また音楽に対する知見も違います。それらの違いを理解した上で、「自分が出したい音、実現したい音楽は何なのか」ということを「実践する」ということが大切です。それがミュージシャンとしての「芯」でもあります。「芯」がない音楽は、素人から見てもみっともないものになってしまうものです。「みっともない音楽」に対しては、人は「聴く」という自分の時間を割くことはないのです。そういう意味では、音楽は「聴いてもらえてはじめて存在する」ということにもなるでしょう。

そのような「クリエイティビティ」の根幹がリズム感です。どのような意志を持っていても、人に聴かせるべきではないクオリティというものはあります。少しずつ上達すればいいのですが、自分が好きなこと、自分が実践したいことをどれだけ実現できるのかということを自分で理解することが大切です。

「身の程を知る」ということは、それだけ「上達」する余地があるということです。楽器の演奏は知識だけでは実現できるものではありません。身体が動いてはじめて体現できることです。そのために自分にとって必要なこととはなんなのか、自分にとって足りないものは何なのか、根幹は維持できているのか、それを「自覚」することがなによりも大切で、それは「プロ」であってもずっと続けていることでもあります。

音楽の道というものは楽しい半面、そのように厳しいものでもあります。その厳しさをどれだけ楽しく乗り越えていけるのかということは、「自分次第」のことなのです。